ESL:English as a Second Language
第二言語としての英語(英語が母国語ではない人達のクラス)
結婚2年目
英語が話せない劣等感で引きこもりがちの私をみかねて
ESLを受講したら と夫に提案された
カリフォルニアは移民が多く
各所で英語を話せない人たちの為にESLを開講してる
最初に通ったのが市主催のアダルトスクール(成人の為のクラス)
無料で週2回夜間のみ
同じようなレベルの人達だから
英語ができないと笑われることもない
嫌ならやめればいいと言われ
当時運転免許を取得してなかったので
夫に送迎してもらっていた
学力別に分けられ、振り分けられたクラスには日本人1人
それでもつたない英語と辞書を駆使して
なんとか話をしたり、お菓子をもらったり
久しぶりに他人と話す機会に恵まれ
学校がある日は楽しみだった
しかし、やっぱり無料のクラス
ほとんどの先生は定年退職した英語の先生
1クラス幾らのパートタイマー
やる気のなさは目に余るほどで
2時間のクラスを1時間で切り上げることもしばしば
携帯のない時代
迎えが来るまで1時間以上待たないといけなくて
冬は特にきつかった
だいぶ人馴れした1年後
学力向上の為、コミュニティーカレッジのESLに移る事にした
授業料が発生するけど
月~木まで週4日
カレッジと同じ春学期と秋学期の2学期制
プラス短期間の夏学期
ESLには9つのクラスがあり
初級ー31 32 33
中級ー34 35 36
上級ー101 102 103 (103をパスすると次は短大の英語クラス)
事前に学力テストを受け自分にあったレベルを登録
私のレベルはESL35
ワクワクしながら初日を迎えた
ところが、自己紹介をさっと済ますと
早速授業、間に休憩をはさみながら3時間みっちり
先生が何を言ってるのかさえ理解できず
これはマズいと焦りまくり
休み時間に事務所に行ってESL34に入れてくれと懇願した
幸い空きがあり、翌日から移る事に
夜間のクラスだったので
クラスメートのほとんどが昼間の仕事をしていて
中には現役の高校生もいた
メキシコ移民で英語での授業に苦労してると言っていた
みんな同じなのね と妙に安心したのを覚えてる
クラスは楽しく、早めにきて宿題を見せ合ったり
休憩時間にスナックを分け合ったり
しかし、夫の仕事が忙しくなると
毎夜の送迎が難しくなってきて
二学期目が終了した後、
バスに乗れる午前のクラスに移ることにした
午前のクラスには
VESL: Vocational ESL(職業上のESL)
という職種専門用語をシチュエーションと共に学ぶという
1997年当時、まだ高価だったコンピューターを使うクラスがあり
これと午後のESL36を登録
2クラスにバス通学
アメリカに住んで初めてスケジュール表を買った
それから順調に進みVESLを2学期で終了
これならESL以外のクラスも大丈夫かもと思い始め
引き続きESLを取りながら数学のクラスも登録
と同時にキャンパス内のコーヒースタンドでバイトを始めた
これならいつかカレッジ卒業できるかもと
夢を膨らませた矢先
夫の転勤決定 泣いてしまった
戻ってきたら復学すればいい
夫の言葉に、何年先になっても卒業したいと思うようになった
それにしても
あの時夫が背中を後押ししなければ
ESLに通わなかったし、
コンピューターに触れる機会も遅かっただろうし、
この歳から大学に行こうなんて考えもしなかった
あの時、ターニングポイントだったんだろうな
運命ってわからない