チキナーごはん

ネコおばさんの田舎暮らし

カレッジ -編入後 4年生 そして事故ー

45歳で人生初の救急車に乗せられた

 

2011年8月、4年生になり前年以上の忙しい学期の始まりだった

午前6時には学校に到着

最初のクラスが始まる7時半まで図書館で予習をし

それから午後2時までみっちり授業が入っていて

週に2日、午後5時に学校に戻り午後6時~10時までの講義に出席する

 

3週目に入った9月初旬、いつものように夕方家を出た

その日は金曜日で、夕方のラッシュアワーがいつも以上にひどく

途中でフリーウェイを降りて一般道を使うことに

地元民しか知らない道なので、みんなどんどん飛ばす

 

私もつられて速度を早め

緩やかな坂を上りきって所でいきなり目の前の車が停まった 

赤信号だ

慌てて急ブレーキを踏み、ぎりぎりの所で停車 ふーっ😵‍💫

が、もしかして後続車は?とバックミラーを見たら

お見事、ものすごいスピードで私の車に突っ込んできた

衝撃音の中、咄嗟の判断でハンドルを右に切り

運よく前の車にはぶつからずに済んだ

 

私の車はヨロヨロと縁石にぶつかり停まり

車の前方が大破した加害者の運転手が降りてきて

開口一番「大丈夫?救急車必要ないよね?

警察呼ばなくていいいよね 急に停まったあなたも悪いし」

と 額から血を流している私に向かって言い放った

 

(え?何言ってるの?普通は”ごめんなさい”だろう?!)

こいつ、こんな大きな事故を起こして示談ですまそうとしていた

幸い、私の前の車の人がすでに警察に電話をかけていて

「バックミラーで一部始終見ていました 目撃者です

あなたは全然悪くない」と優しく声をかけてきた🥹

 

それからが大変

警察が来て、救急車に乗せられ、救急病院を2か所廻され

検査などが済んで病院を追い出された(この表現しかない😡)のが午後11時

軽いむち打ちでリハビリが必要だと診断された

翌1週間は学校を休み

リハビリのスケジュール調整、車の修理や事故の手続きに奔走

その後学校に戻った時、体調に異変が起きた

 

座っていられない

座っていると吐き気と眩暈が襲ってくる

精密検査を受けたが、異常なし

とりあえず体調を整える為にしばらく休んだら?

と学校側から提案され休学することになった

 

実は、4年生になって私は苦しんでいた

どのクラスでも和気あいあいという雰囲気は全くなく

誰が1番になるかという競争で

伝達事項さえ教えてもらえなかった事もあった

また、3年生の時にやめたビジネスクラスを再登録しないといけない

というのが重荷で

コミュニティーカレッジに通っていた時のように学ぶ事を楽しめず

学校へ行くことがどんどん辛くなっていた

3年生の時に感じていた違和感はそれだった

毎朝、運転しながら自然と流れ出る涙

誰もいない早朝の図書館で、もう少しだからと自分に言い聞かせていた

 

アダルトスクールのESLから

時間はかかったけど4年生大学に編入した努力を無駄にしたくない

という思いが自分を支えていたけど

事故で、張りつめていた糸がプチっと切れた

 

結局、再びその学校へ戻ることはなく

周囲の人に、あと1年なのに勿体ない と言われたけど

私自身 気持ちはとても晴れやかで

あの事故は、神様が毎朝泣いていた自分を救い出すためにくれた機会だと思っている

 

ただ、この事故が保険会社と3年にも及ぶ戦い(裁判沙汰)になるとは

その時は知る由もなかった😶