”必ずしも” ではないと思う
カフェテリアで働いていた頃
マネージャーが日本人留学生のバイト生に
翌日出勤出来ないか と聞いていた
「授業があって、課題の取り組みもあって…」
と歯切れの悪い答え方をしていたら
しびれを切らしたマネージャー
「できるのか、できないのか、聞いているのはそれだけ」
とピシャリ
アメリカ人はとてもはっきりしている
まず答え(Yes/No)を明確にし
そのあと必要ならばNoの理由を聞いたり、話したり
逆に日本は断る場合、理由から入る
例えば
「週末うちに来ない?」
と聞かれて行けない場合
アメリカ:「ダメ、もう予定が入っているから」
日本:「週末はもう予定が入っていて、ごめんなさい」
たかが言葉の順番だけど
自分の主張を先に伝えるアメリカ人と
拒否という強い衝撃を和らげようとする日本人
国民性の違いがよく出ている
アメリカに住み始めの頃は
そんな事を知らなかったから
たどたどしい英語で先に理由を説明していると
「あぁ、出来ないのね じゃあいいわ」
と途中で話を切られる事も多く
よく落ち込んだりもした
でも、このアメリカ人の考え方に慣れてくると
この方がいいかも と思えてきた
「No」と言っても理由を聞かない人が多く
かといって、その人との関係が悪化するわけでもなく
「Yes/No」さえ分かればいいという考え
それと、理由を訊ねるという事は
相手のプライバシーに踏み込む
という言動になりかねない
なので、そこは線を引いている感じがする
きちんとした断る理由がある時もあれば
ただ単に気分がのらない時もあり
理由を聞かれない事は気持ち的に楽
日本人の間でありがちな
「何故出来ないの?どうして?」
と詰め寄られる事もなく
「あの人はいつも断る」
と陰口をたたかれる事もない
物事を納得するには理由は必要
でも、あまりにも多くの事を並べると
もうそれは言い訳にしか聞こえない
そういう風に受け取られない為にも
聞かれない限り
自分から「No」の理由は言わない
今日は晴天の土曜日
「ワインのお代わりは?」と聞かれ
これは断る理由なんてないでしょう
頂きましたよ 2杯目🤗