チキナーごはん

ネコおばさんの田舎暮らし

乞食祭り

今日はハロウィン🎃

 

私が小学2~3年生の頃だから1970年代前半かな

近所に住む幼馴染が「夕方お菓子を貰いに行こう」と誘ってくれ

(何故お菓子??)と意味が分からなかった

うちの家は門限が午後6時で

恐る恐る母に聞くと

姉達も一緒に行くことで許してくれた

 

実家の近くには、外国人住宅地があり

米軍基地内の住居不足で

入居できない多数の家族がその住宅地に住んでいた

5~6人でそこに向かって歩いていくと

他の子供たちもウジャウジャいて

(これは一体なに??)と少し恐怖に

 

誰かが一軒のドアをノックすると

ドアが開いて、体中に包帯を巻いたアメリカ人が笑いながらお菓子をばらまいた

(何??でもお菓子がいっぱい!)

甘い誘惑には勝てず、お菓子を拾ってポケットにいれ帰ろうとしたら

「次いくよ」と知らない子の声

袋を持ってない私たちに袋を分けてくれた子もいて

いつの間にか大きくなったグループで団体行動

 

3軒4軒と回るうちに

おかしな格好をした外国人の子供達とのグループとも融合し

お菓子をくれた家の人たちに「サンキュー」とみんなで叫び

パンパンになった袋を抱え午後7時半頃解散

 

片言の日本語を話す 妖精の格好をしたアメリカ人の女の子が

「今日はお菓子を貰える日」と説明し

「来年もまた一緒に行こうね」と言ってくれた

ええぇぇ こんな映画に出てくるような天使みたいな子が

私を誘ってくれたぁ😆

すごく嬉しくて、この事を友達に教えたくてたまらなかった

 

翌朝、出欠確認のあと担任の先生が

「昨日、お菓子を貰いに行った人は手をあげなさい」

と強い口調で問いただした

私ともう一人、ハーフの子が手を挙げると

前に出され

「あれは乞食祭りで、食べ物を恵んでもらいに行く事

アメリカ人に食べ物を貰いにいくなんて馬鹿な事をして」

とすごい剣幕で叱られた

その日、母も担任から電話で怒鳴られ

結局、翌年から「乞食祭り」には行けず、天使ちゃんともそれっきり

 

私の楽しかった思い出は、先生の激怒とのセットになっていて

しばらく思い出すのは嫌な記憶になっていた

 

でも、大人になってから先生が怒った理由が何となく分った

その3~4年前に沖縄県民の怒りが爆発した「コザ暴動」があり

アメリカが沖縄を虐げているという感情から

アメリカ人に媚びをうる行動が許せなかったのだと思う 

 

ずっと乞食祭りだと思っていたあのイベントは

中学校の英語の教科書でハロウィンだと知り

先生の付けた微妙なネーミングと

コスチュームを着てなかった私達によくお菓子をくれたなぁと 

今では笑い話になっている

 

あまり飾り付けをしない私だけど

これはハロウィン仕様

  

今夜はネコ達に特別おやつをあげる🤭

Trick-or-Treat! 👻