チキナーごはん

ネコおばさんの田舎暮らし

”べき”という言葉に縛られず

とても強い語調だと思う

 

「無駄遣いをやめるべきだ」

「もっと野菜を食べるべきだ」

「そこに行くべきではない」

そうやってアドバイスをする人がいる

 

「~べき」と言われると

その人の価値観を押し付つけられている様な気がする

 

特に、ファッション誌などの見出しで

「50代から買うべき服」

こういうのを見ると

参考程度に見て欲しい という意図かもしれないけど

(脅しているよね 絶対🧐)と感じてしまう

 

「40代でやってはいけないファッション」など

”べき”を使っていないが

やってはいけない=着るべきではない

そうやって無言の圧をかけていると思う

 

”べき”は自分自身を追い込む言葉でもあると思う

特にSNSが生活に浸透している今

多くの人が他人と比べ、他人を真似

「自分はこうすべきだ」

「自分はこうあるべきだ」

自分自身にプレッシャーをかけて

本来の姿から目を背けているような気がする

 

そういう私自身、以前は”べき”人間だった

手を抜けない性格で、完璧にこなしたいう気持ちから

自分だけではなく周囲の人にもプレッシャーをかけていた

でも、40代半ばで事故に遭い考え方が変わった

 

今はわりとゆるく考えるようになり

「やってみようかな」

「できたらこうしよう」

気持ちに余裕ができた感じがする

 

今現在も周囲には”べき”人間が2~3人いる

本人たちは悪気がないので(私もそうだったから😓)

右耳から聞いて左耳から逃がす

いつかは気づいてくれるかもしれない

それとも

「そういう言い方はやめるべき!」

とアドバイスした方がいいのかなぁ😝

 

前庭のサボテン

  

赤ちゃんサボテンが3つ生えてきていた

ゆっくりだけど、確実に成長している

 

”べき”にとらわれず、自分を見失わず

サボテンのようにスローペースで生きていきたい🤗